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Home鞆の浦の歴史

いろは丸事件

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1867年5月26日(慶応3年4月23日)23時頃に伊予国大洲藩所有で海援隊が借り受けて長崎港から大坂に向かっていたいろは丸と、長崎港に向かっていた紀州藩の軍艦・明光丸が備中国笠岡諸島(現在の岡山県笠岡市)の六島(北緯34度18分16.0秒東経133度31分53.7秒付近で衝突した。

いろは丸は大破し自力航行不能となって、船舶の修理施設の整った近くの備後国沼隈郡>鞆の浦へ明光丸により曳航される途中に、鞆の南10km付近にある沼隈郡宇治島北緯34度18分52.7秒東経133度27分55.8秒沖で沈没した。

搭乗していた坂本龍馬はじめ海援隊士などいろは丸乗組員は明光丸に乗り移ったあと鞆の浦に上陸した。龍馬は紀州藩の用意した廻船問屋の升屋清右衛門宅や対潮楼に4日間滞在し賠償交渉を開始したが、交渉がまとまらぬうちに明光丸が長崎に向けて出港し、再交渉を行う為に後を追った。

※ウィキペデアより抜粋。

平成いろは丸
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2010年(平成22年)一月九日(土)
「平成いろは丸」の就航式が行われました。

平成いろは丸は全長約22メートル、19トン・定員は99人と本物より小ぶりですが、船内には龍馬の写真や古い操舵輪、コンパスも設置され、レトロな雰囲気が漂い 仙酔島までの短い航海を楽しめます。
写真をクリックするといろは丸の動画が見れますよ!

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